グリーンランドで古代スカンジナビアの歴史に触れる

グリーンランドの赤毛のエリック(ERIC)の子孫たち

グリーンランド南部のカッシアースック (Qassiarsuk)の小さな羊牧場にレイフ・エリクソン(Leif Ericsson)の像が立っています。大きな戦闘用斧によりかかり彼は父親の赤毛のエリックにちなんでつけられたエリックのフィヨルドを眺めています。それはまるでコミュニティを見つめながら、同時に水平線を眺めているようです。

もしかしたらアイスランドに、期限のある自分の一族に思いを馳せているのかもしれません。家族はノルウェーからアイスランドへと移住し、最終的に9世紀末にグリーンランド南部の牧場にたどり着きます。または彼の目はより西を見据えているのかもしれません。彼は1003年に同邦人のビャーニ(Bjarni)からグリーンランドの西に大陸があると聞いてヨーロッパ人で初めて北アメリカ大陸の地を踏んだ人物なのです。

グリーンランドの牧場

レイフは旅を愛し、赤毛のエリックが家族とともにグリーンランドを訪れる以前に大西洋を横断した家族の子孫たちです。彼らは古代スカンジナビア人が現在のナーサック(Narsaq)やイガリク(Igaliku)、カッシアースック など美しいフィヨルドの地に定住し、そこに多くの牧場を持った農業コミュニティを形成しました。

牛乳、チーズ、スキール(skyr)(アイスランドスタイルのヨーグルト)が牧場の主要産物であり、当初は自分たちとともに連れてきた家畜は数も少なかったために食べようとはせず、狩りの技術を向上させてアザラシをハンティングし、熟練ハンターは集落の外へ出てトナカイなど野生動物を狩っていました。

古代スカンジナビアジンの文化が最も高まったのは1200年頃です。当時2500人ほどの人間がグリーンランドに住んでいました。ヨーロッパとの貿易も盛んで、古代スカンジナビア人はセイウチの牙など高級品がほしいとの要望に答えるために、グリーンランドの海岸沿いを永遠と旅しなくてはなりませんでした。

13世紀には小氷河期が始まり、古代スカンジナビア人は協力してグリーンランド南部へ移住することを強いました。ここでは寒い夏と長い冬であっても棒業が可能でした。保存状態の良い牧場の建物の跡は実は西海岸にある首都ヌーク(Nuuk)で見つかっており、気候の変化のために人々は移住を強いられたことを示しています。当時グリーンランド南部の牧場は数的には少なかったですが、かなり大規模なものでした。

グリーンランドでの500年

赤毛のエリックの妻、トーヒルデ(Thodhilde)はキリスト教をグリーンランドで広めましたが、子孫たちの時代には教会は取り壊され、南部のフィヨルドの居住地にいくつか集中して残るのみとなりました。

500年近くもの間グリーンランドの生活をし続けてきた古代スカンジナビア人でしたが、それ以降は姿を消していまいました。気候の変化だけが彼らの障害だったわけではありません。国際貿易は減少し、働きに出る人も少なくなったことで経済基盤が不安定になったのも一因です。ヨーロッパ人からのセイウチの牙への需要は減り、食物への需要が増加しましたが、これにはアイスランドや他の北大西洋地域の方が貿易が容易となったことも要因です。

あとに残されたのは南グリーンランドの跡地、トーヒルデの教会、そしてその傍のカッシアースック もしくは 古代スカンジナビアの言葉でブラッタフリード(Brattahli∂)と呼ばれるロングハウスです。ガルダル(Gar∂ar)、現在のイガリクにある聖公邸では発掘調査が行われており、カコトック(Qaqortoq)そばのヴァルセイ(Hvalsey)の教会跡地では後世のために保存されています。他の場所でも現在も南グリーンランドで続く伝統的な農業を1000年以上も前から行っていた証拠が見つかっています。

引用元URL
http://www.greenland.com/en/things-to-do/cultural-experiences/norse-history-in-greenland/

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